没後50年 福田平八郎 -大阪中之島美術館- [美術・芸術]
大分市に生まれた福田平八郎(1892–1974)は、
18歳のとき京都に出て絵を学びました。
自然を隅から隅まで観察した写実的な作品で評価を得たのち、
昭和7年(1932)に《漣》を発表し、
その大胆な挑戦で人々を驚倒させました。
その後も《竹》や《雨》など、
色や形、視点や構成に趣向を凝らした作品を制作し
「写実に基づく装飾画」という新しい時代の芸術を確立しました。
**************************************
チケットをいただいたので、何も知らずに行ってきたけど、
作品を観れてよかった。
没後50年やったら、高齢の方なら現役で知ってる人もおるんちゃうの、
と思うと親近感がわいてくる。
《漣》は当時、「これが絵か」「果敢に新境地を打開」などと
賛否両論が巻き起こり、一番の問題作だとされたとの事。
どんなことでも新たな挑戦は素晴らしい事で、
一番最初に道を切り開くことは、いつの時代も何か言われる。
でも、いろんな意見が出るのは良い事で、
人それぞれなので、みんな違った感想が出ても不思議ではない。
とにかく見たものを写生してたようで、
それでも、誰でもそれができるかと言われたらできない。
《桃》はすごい好き。
ちょっと硬めの桃なんかな、
すぐにでも手に取って確かめたいぐいらい。
お皿に映った影もリアルですごいなと思った。
描いた年代によって作風もいろいろで、それも面白かった。
【没後50年 福田平八郎のページ】
https://nakka-art.jp/exhibition-post/fukudaheihachiro-2023/
【大阪中之島美術館のサイト】
https://nakka-art.jp/
18歳のとき京都に出て絵を学びました。
自然を隅から隅まで観察した写実的な作品で評価を得たのち、
昭和7年(1932)に《漣》を発表し、
その大胆な挑戦で人々を驚倒させました。
その後も《竹》や《雨》など、
色や形、視点や構成に趣向を凝らした作品を制作し
「写実に基づく装飾画」という新しい時代の芸術を確立しました。
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チケットをいただいたので、何も知らずに行ってきたけど、
作品を観れてよかった。
没後50年やったら、高齢の方なら現役で知ってる人もおるんちゃうの、
と思うと親近感がわいてくる。
《漣》は当時、「これが絵か」「果敢に新境地を打開」などと
賛否両論が巻き起こり、一番の問題作だとされたとの事。
どんなことでも新たな挑戦は素晴らしい事で、
一番最初に道を切り開くことは、いつの時代も何か言われる。
でも、いろんな意見が出るのは良い事で、
人それぞれなので、みんな違った感想が出ても不思議ではない。
とにかく見たものを写生してたようで、
それでも、誰でもそれができるかと言われたらできない。
《桃》はすごい好き。
ちょっと硬めの桃なんかな、
すぐにでも手に取って確かめたいぐいらい。
お皿に映った影もリアルですごいなと思った。
描いた年代によって作風もいろいろで、それも面白かった。
【没後50年 福田平八郎のページ】
https://nakka-art.jp/exhibition-post/fukudaheihachiro-2023/
【大阪中之島美術館のサイト】
https://nakka-art.jp/
瓦屋根に雨跡を描いた作品【雨】が大好きです。
by lamer-88 (2024-04-21 21:38)
小難しくない所が良いですね。
by 向日葵 (2024-04-22 02:49)
lamer-88さん
【雨】という作品は私が見に行った前期には無かったんですが、
パンフレットに載ってました。パンフレットでも見れてよかったです。
向日葵さん
そうですね、自分がその場にいるようなそんな見方ができる作品が
たくさんありました。
by ぷち (2024-04-22 18:42)